ITバブル期から続く起業家の街としての渋谷

ITバブル期から続く起業家の街としての渋谷

渋谷はかつて「ビットバレー」と呼ばれていた

ヒュープロオフィスがある渋谷。日本一のスタートアップ・ベンチャー企業の密集地と呼ばれる渋谷には、かつて「ビットバレー」と呼ばれた時代がありました。それはアメリカで起こったITバブル(別名インターネット・バブル、英語ではDot-com bubble ドットコム・バブル)が日本にも急速に広まってきた、1990年代後半から2000年ごろ。若者のファッションの発信地、ギャルの聖地とも呼ばれる渋谷になぜビットバレーという呼び名が付いたのでしょうか。

ビットバレーという名前は渋谷の英訳 Bitter Valley(ビター・バレー、渋い谷)のbitter(ビター)をデータの最小単位であるBit(ビット)に置き換えて作られたものだといいます。その名がアメリカ合衆国カリフォルニア州にあるITベンチャー企業の密集地であるシリコンバレーにちなんでつけられたことはは言うまでもありません。つまり、ITバブル当時の渋谷にはまさにシリコンバレーと同じようにITベンチャーが密集していたのです。

当時ほどの勢いはありませんが今でも拠点とするIT企業がとても多いことで知られる渋谷区。300社数以上のIT系の企業が密集しており、その数は新宿や六本木を抑えて都内一、つまり日本一だといわれています。ITバブルの崩壊後でも起業家、ベンチャーの街として密かに発展を続けてきた渋谷ですが、今では毎週のように起業家イベントやスタートアップイベントが開催されています。では渋谷を日本一のベンチャー企業の街にしたITバブルとは、いったい何だったのでしょう。

ITバブル発生当時の時代背景

ITバブルとは1990年代後半から2000年頃にアメリカや日本で起こったIT関連企業の株価急騰です。ITバブルはマイクロソフトのビル・ゲイツを世界一の大富豪にのし上げ、日本でもソフトバンクの孫正義を長番付トップにしました。そんなITバブルは幾つかの条件が重なった結果として起こったとされています。その条件となった当時の時代背景をまとめていきます。

1990年初頭、日本のバブルが崩壊しました。それに加え欧米の経済も低迷しており90年代前半は世界的に非常に景気の悪い時期でした。さらに続く1997年にはアジア通貨危機が起こります。景気の悪化に伴い日本やアメリカは金融緩和を積極的に行いました。金融緩和とは世の中に出回るお金を多くして景気を良くしようという動きですから、当然投資マネーの「過剰流動性相場」つまり「金余り相場」と呼ばれる状態になりました。

続く1998年、世界最大のヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)が破綻します。ファンドとは多くの投資家が資金を集めて運用する投資で、ヘッジファンドとは利益を追求する投機的な動きをするファンド。その最大級のヘッジファンドが破綻したことで、投資先の限定が起こります。投資家によってハイリスク・ハイリターンで短期的な売買益を求めて投資される投資マネーが、過度の金融緩和によって過剰流動性相場になっていたところに投資先の限定が重なり、投資家の注目がIT業界へと集中したのです。

記事の続き【ITバブルの影響と現在のIT業界】